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2008-06-16 [本]


新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

  • 作者: 岡 真史
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1985/12
  • メディア: 文庫



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関本監督といえば、これだ。 [本]

映画人(かつどうや)列伝

映画人(かつどうや)列伝

  • 作者: 関本 郁夫
  • 出版社/メーカー: 青心社
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 単行本

添え物からメインの監督になろうとしたときに角川映画の台頭で活動の場を狭められた当時の著書。
映画観や対談と内容豊富。
今となっても的確な指摘多数。


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『仮面ライダーをつくった男たち』(講談社) [本]

漫画でも何も読まないよりいいでしょう。

仮面ライダーをつくった男たち

仮面ライダーをつくった男たち

  • 作者: 小田 克己
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/04/23
  • メディア: コミック

児童文学作家の名木田恵子氏もサイトで書いておられたけど、最近では「原作」ではなく、
「シナリオ」という表記するのは何でしょうね。これもそうだけど。
話は四話構成。一本はプロデューサーの平山享氏、残り三本は大野剣友会の話。
親も子も読むという点では主役ではない、でも「なかのひと」で奮闘するスタントマンの話は
『マガジン』という雑誌のカラーもあって受け入れられるんでしょうけれども、平山Pもある意
味擁護しづらい点もあるんですよ。
本来ならば松田定次監督の一番弟子として太秦でエース監督になるはずが、会社の路線変
更でテレビプロデューサーとして「ジャリ番」担当。
本人は「任侠映画を撮りたくなかった」と言っているけど、『映画秘宝』2007年10月号で脚本家
・掛札昌裕氏のインタビューによると、自作を試写でさんざんに言われて、完成パーティーも開か
れなかったとか。
そこで「ジャリ番P」に転向。でも、任侠でも時代劇でもジャリ番でも東映ドラマツルギーは一緒な
んですよね。
「主人公が勝つか負けるかではなく、主人公がいかに勝つか」を見せる。
平山氏も「甘い」と言えば「甘かった」かも知れません。
でも、平山氏あってのテレビプロ、制作所だったでしょう。その選択がよかったとも言えます。
牧口雄二氏のような残り方もあったでしょうが。
「少年兵時代の体験」と「監督として残れなかった」「東映時代劇美学を残したかった」。この三点が
平山氏の源だったと思います。
『仮面ライダー』は松田監督の『新吾十番勝負』のオマージュでしょうね。
生まれるべきではなかったのに生まれてしまった新吾、なるべきではなかったのに改造人間となった
本郷猛。暗いタッチから明るいタッチへの変更。
これをなぜ松田監督がシャシンにしたか、牧野家での立場~それは私にはわかりません。
そういう要素が映画としての『新吾十番勝負』、それを一番弟子の平山氏が『仮面ライダー』という形
でプロデュース、最大のヒット作になる。うがちすぎでしょうが。


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この二冊を読んで [本]

フジサンケイ帝国の内乱―企業ジャーナリズム現場からの蜂起

フジサンケイ帝国の内乱―企業ジャーナリズム現場からの蜂起

  • 作者: 松沢 弘
  • 出版社/メーカー: 社会評論社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 単行本


ユニオン力で勝つ

ユニオン力で勝つ

  • 作者: 設楽 清嗣, 高井 晃
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2007/02
  • メディア: 単行本

働く場所(会社であれ、官公庁であれ)で監視する一番の存在というのは本来労働組合なんですよね。
出資者(株主)もそうですけれども、たとえばファンドとかは内容を問わず、自身の利益が目的ですから、社会的存在としては、利益のみが目的となり、従業員、いや、労働者は労働強化、
絞られることになりますよね。
最近は「組織率は低下した」とか「何やってるの?」などと言われてますけれども、組合がしっかりしていないと、組織自体(労使問わず)腐るんですよね。
トップが「組合つぶし」しか考えていないところはいけません。労使はきちんと交渉、戦わないといけないものとはわかります。
でも、私、私の会社は、組合は、う~ん…。


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平野久止『ユニードはなぜダイエーに敗れたか ダイエーの九州戦略を見つめる』(葦書房) [本]

もう、今となっては懐かしい話ですよ。ダイエーは経営再建に必死。
この本は、九州の地場スーパー・ユニードがダイエーの傘下に入ったあとの内情をユニード側の
方が書かれたもので、出版当時はプロ野球・ホークスの経営譲渡フランチャイズ移転という時期で
話題になったのですが、子会社化・系列化され、企業の経営論理が変わると、どういう目にあうか、
という点で読まれたがよいかと思います。
五年後、十年後のニッポン放送や阪神電気鉄道やタイガースはどうなってますやら。


金田信一郎『テレビはなぜつまらなくなったのか』(日経BP社) [本]

著者は日経ビジネス記者。同書は『日経ビジネス』の連載「TV WARS」(2006年1月9日号~
3月27日号)を加筆・修正したもの。
著者は主観的に「テレビがつまらなくなった」と考え、テレビ番組の興亡をスター列伝で綴る。
しかし、それは「光」だけでなく、「影」そして、人によっては消え行く道をも描く。
ただ、この本は「本編」よりもインタビュー記事を読んでから入ったが、わかりやすい。
本編は大学教科書の概論っぽさはあるのがやや難点か。
テレビ~ここで筆者が念頭においているのはおそらく、地上波のことだろう~がつまらなくなったの
は、過去の成功した手法を焼き直して見せているに過ぎず、各局とも同じような内容の番組を供給
し続けることにあるとする。
その典型が「現在の長嶋茂雄」であり、格・レベルが落ちたタレントが出演する「ひょうきん族」のエ
ピゴーネンなバラエティ番組であると考える。
プロ野球の「人気下降」はプロ野球自体よりも「テレビがつまらなくなっている」典型的な例という筆
者の指摘は当然。「アンチ巨人だって、巨人ファンのうち」ですから。
かつて、邦画界は自社スターをテレビに出演させないように「五社協定」を結ぶも凋落は食い止めら
れず。そして、今、地上波テレビは、
http://www.presentcast.co.jp/
で、「囲い込み」を図り、「IT企業からの自己防衛」。似たような構図です。
今後はテレビの有料化、コンテンツサイドが供給するメディアを選択する時代が来るのでしょうか?
過去ログで、JリーグがCSに優先権をつけたことを書きましたが、ネット・DVD販売、あるいは未知
の方法で。

最後に大橋巨泉氏の言葉を紹介します。
「(日本も)勝ち組とか金持ちとかインテリがテレビを見なくなっただけなんですよ。負け組、貧乏人、
それから程度の低い人が見ているんです。」
もちろん、これは氏が前者であることを誇るものではないです。

(追記)
故鹿内春雄氏はエンタテインメントでニッポン放送を聴取率トップの局にし、フジテレビも父を否定す
るかのように、「楽しくなければ、テレビじゃない」と宣言し、80年代のテレビ界に新風を送りました。
フジサンケイグループで当時から経営等で問題があった新聞ですが、もし氏が存命であったならば
どうなっていたでしょうか?
ラジオ・テレビで成功した手法を新聞に持ち込み、「正論路線」は破棄されていたかも知れません。
ニッポン放送買収の際にある雑誌で堀江貴文氏がインタビューで答えていたように。


本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞社) [本]

まあ、私も「信者」だったことありますわ。今となっては、もう「老害」とまでは言いませんが、まあ。
結局この本で説いていることは「新聞」「雑誌」といった「メディアにおける文章作法」であって、決し
て「学術論文」とか「文学」といったジャンルでは使えると限らないと思います。
著者自身も谷崎とか清水幾太郎等意識はしているようですが。
でもまあ、句読点の打ち方とか修飾の順序などは参考になります。
この本で一番考えさせられるのは、「自分が笑ってはいけない」ということでしょうか。
「ここがメイン」というところで書いている人間が感情を露にしたり、「自分に酔ったり」しないというこ
とでしょう。
今となっては、の、この著者ですが、かつて『戦場の旅』や『中国の旅』が発表当時衝撃を与えたの
は感情抜きに米兵や日本兵の残虐さを表現できたことにあるのでしょう。
民放地上波のスポーツ実況中継で戸谷・古舘氏が先鞭とされている「絶叫型」。
そのエピゴーネンの多くは「自分が酔っている」「煽ろうとする」人が多く、説得力がもう一つ、という
気がするんです。「パイオニア」はスタイルの中でも勉強はしてきたでしょうが。かえって、淡々として
いた元フジテレビの松倉氏など今聴くとすごく新鮮ですよ。

話はそれますが、百本目のトピック、よりによってというか、あまりおいしいものではなかったですね。


杉本栄一『近代経済学の解明』(岩波書店) [本]

ああ、やっとこのカテゴリーでトピックが立てられた(笑)。
1989~90年の「共産主義国家の崩壊」以来、「イデオロギーの時代は終わった」と言い、そtれを
未だに思っている人、自分のその考えそれ自体が「イデオロギー」になっていることには気づかない
んですか?
この古典は、経済学各学派においても、その理論を編んだ思考や理念、ぶっちゃけ「イデオロギー」
について記述されています。
私自身、この本は高校三年から大学一年の春に真面目に読んでおくべきでした。反省。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19433957
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19433955